男主人のベッドルーム

この部屋の展示アイテム

キッズとまなぶNo.1
キッズとまなぶNo.1

男主人のベッドルーム

多くの人々は健康上の理由でバースを訪れました。鉱物質が含まれた温泉水は、治癒効果があ ると考えられていたからです。 男主人のベッドルームは回復を促す休息の場でありました。

ジョージアン時代の上流階級の既婚カップルは、妻と夫とで別々の寝室をもつのが普通でした 。どちらも優雅な内装ではありましたが、男主人用の部屋は女主人の部屋ほどの派手さはあり ませんでした。

治療の効果

バースにはあらゆる種類の治癒・治療法を提供するたくさんの医師が集まりました。 そしてジ ョージアン時代には多くの医師が関連書籍をこぞって出版しました。ドクター・ブカンの『家 庭の医学』(Domestick Medicine)もそのひとつです。この本で彼は咳や風邪の症状にこう対 処するようにアドバイスしています。
「ナツメグのサイズほどのバーガンディ樹脂を手と同じくらいの大きさの柔らかな革の上で薄 くのばし、肩甲骨の間にのせます。3、4日ごとに張り替えふき取ってください。」 どの家庭にもこのような薬箱がありました。

この写真の薬箱は。 現在保管庫に保存されていま す。

ミネラルウォーター

バースで有名なものといえば温泉水、飲料水としても知られる天然鉱水です。 何度も不幸な妊 娠を繰り返すこととなったアン女王は、バースの常連でした。 1738年、バースの温泉水の資源 を英国中の同一教区に住む貧しい患者が治療を受けられるようにミネラルウォーター・ホスピ タル(鉱水病院)が設立されました。 痛風、リウマチの他にも中風や皮膚病、婦人病や消化器 系の疾患にも効果があると信じられていました。

内装デザイン

ふところに余裕のある市民や多くの裕福な訪問客の集まるバース。家具職人や装飾業者、彫刻 家や金箔師たちが、お金儲けのチャンスをねらってロンドンからバースへと移り住むようにな りました。

また書籍商や版画店では、室内を厳かな雰囲気に演出するための版画やバースの風景画などを 売り出しました。

この部屋の展示アイテム

マホガニー製ひげ剃り用スタンド1790年頃

1685年頃より、男性の間でシェービングが定着し始め、あごひげやくちひげが再びファッショ ナブルになる19世紀まで、その流れが続きました。

イングランドでは衛生面への理解が広がり、18世紀の間にだんだんと体を洗う習慣も受け入れ られ始めました。 られ始めました。身の回りを清潔に保ちたいというこの新しい概念の登場とともに、男女共に薄着をするようになり、17世紀に流行ったような香りの強い香水をまとう習慣もやがてすたれていきました。

『バース四景』 ジョン・ロバート・コゼンズ 1773年

才能ある水彩画の画家コゼンズによって描かれたバースの全盛期の風景。中でもバースのクイ ーンズ・スクエアの絵は特別です。なぜなら1775年に撤去された、セントラルガーデンの石の欄干の当初の様子が描かれているからです。

  • 『バース、 クイーンズ・スクエア』(Bath:Queen’s Square)
  • 『バース、 ノース・パレード』(Bath:North Parade)
  • 『バース、 ニューブリッジ』(Bath:The New Bridge)
  • 『バース、 ニューブリッジ』(Bath:The New Bridge)

 

部屋からの眺め

No. 1の建物は、ロイヤル・クレッセントに初めて建てられた邸宅でした。この窓からの眺めは それは素晴らしいものです。
ロイヤル・クレッセントは、父ジョン・ウッド (1704-1754) 、息子ジョン・ウッド (1728-1782) によって、この一帯の建築プロジェクトの最後の建物として 1767年~1775年に設計されました。1720年代、高級感あふれるパッラーディオ建築様式をバー スの町に広めたのは、このジョン・ウッド(父)だったのです。

バースの新しい舞踏会場

これは新しい舞踏会場 (Upper Assembly Rooms) のアルフレッド・ストリート側の正面を描い たものです。 これらの建物は、増え続けるバースへの訪問者を受け入れる設備として建てられ 、1771年に完成しました。前景部分には、椅子かごで到着する訪問者のための入り口が手前に 描かれています。

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