洗い場

この部屋の展示アイテム

キッズとまなぶNo.1
キッズとまなぶNo.1

洗い場

この部屋では清掃や洗濯などありとあらゆる作業が日々行われました。
洗濯物は、当時バース市近郊のウェストン村に送って洗わせることもよくありました。こういった清掃や洗濯の仕事は台所仕事と分けて行われました。また洗い場係のメイドは、この部屋を寝室としたようです 。

洗い場係

洗い場担当のメイドや下働きのスタッフは、使用人ランクの中でも一番下の位置付けです。 その多くが10歳~13歳の少女で、鍋釜類を洗い、床や食器棚、テーブルをみがき、野菜、肉、魚 の汚れをこそぎとるなどの仕事をまかされました。
そんな作業を日々続ける彼女たちの手は常に皮がむけた状態で、しもやけが癒えることはありませんでした。その上他の使用人たちの雑用もこなさなくてはなりま せん。他の使用人と共に使用人部屋で食事することはなく、キッチンで調理中の鍋の火加減の見張りをしました。彼女たちの給料は年約2ポンド10シリング(現在のおよそ12ポンドほど)でした。

従僕

従僕の任務は多岐にわたりました。外出時には護衛、荷物持ち、用事を代行する召使いとして 主人の御供をしました。屋敷では訪問者を玄関口で迎え、また時には石炭を運び、靴を磨き、ろうそくの芯を整えテーブルのセッティングもこなしました。 従僕の給料は年約13ポンド(現 在のおよそ1,134ポンドほど)でした。

執事

男性の使用人は、女性の3分の1~半分以上多い給料が与えられていました。彼らはアメリカ独立戦争の軍資金として納税が義務付けられていましたが。 執事の給料は年約25ポンド(現在の およそ2,181ポンドほど)でした。 この給与の他に、食事、住居、お茶、チップ、主人の支払いを代行する時のコミッション、古着 (自分で着用、または売ってお金に変える)、ときには衣服を新調してもらえることさえありました。
この規模の屋敷では、執事、従僕、側仕えの仕事を 兼任する男性の使用人をひとりだけ雇用するのが普通であったと思われます。

この部屋の展示アイテム

石炭倉庫の入り口

道に面した入り口から石炭を直接運び込むことができるように設置されました。

井戸

1772年のロイヤル・クレッセントNo. 1の記録には、「水の供給が十分にある」と記されてい ます。そして2012年の再開発時には長方形の井戸部屋が洗い場の床下に確認されました。このようなお屋敷で敷地内に井戸水を所有していたことは、貴重な資産であったといえるでしょう 。なぜなら当時パイプからの水の供給は頼りにならなかったからです。
家庭用水には2種類あ り、ひとつは硬水(パイプから、もしくは井戸水)、もうひとつは軟度の高い雨水でした。天 水おけにたまった雨水を洗濯などに使ったのです。

パン生地入れ

このような桶は、大人数分のパンを常備する必要がある大きめのカントリーハウスなどによく 見られました。
バースのような都市部には街中にたくさんのベイカリーがあり、欲しいときに買い求めることができました。

アイロンの種類

ジョージアン時代のアイロンがけは、ここに展示されているような非常に重い鉄の塊をストー ブの上で熱して仕上げました。
当時はアイロン台はなく、テーブルを使いました。

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